　手紙が届いた日からまともに授業を受けていない気がする。授業中はどこか上の空で、ここ最近は問題を当てられても答えられないことがしばしばあった。

　食欲もあまりなく、母さんの手料理をよく残していた。普段から出された食事はすべて食べていたからか、心配性の母さんは以前にも増して僕に気をかけてくれている。

　それでも───心の奥底にしまい込んだはずの「恐怖」や「焦燥感」が癒えることはなかった。そうこうしているうちに誕生日前日となり、僕は犯行声明に対しての答えを出した。

　───それは『当日は学校を欠席すること』だ。

　水見さんも僕の案に賛成してくれて、何があってもその日は家を出ないようにと口を酸っぱくして彼女は言った。

　そういえば、結局水見さんのいう『犯人と疑われる人物』は教えてもらえなかった。今でも心のどこかで彼女が犯人なのでは───と疑っている自分がいる。

「それじゃあ優くん、気を付けて。用事があるから私は先に帰るけど、寄り道とかしないようにね？」
「……うん。じゃあ、また明日」

　振り返り、水見さんは微笑む。

「───違うよ、優くん。……また明後日、だよ？」

　そう言って彼女は手を振る。同じように僕も手を振り、水見さんが教室から出るのを見送った。

「……なぁ」

　声がする方に振り向くと、徹が口をへの字にしてこちらを見ている。

「お前、最近水見と仲良いけどなんかあった？」
「え？　いやいや、何も！」

　僕は慌てて首を振った。演技とはいえ、手をつないだことで水見さんを異性として意識してしまっているだなんて、徹には口が裂けても言えない。

「……ふぅん。ま、別にいいけど」

　念を押して否定すると、彼は「はいはい」と相槌を打った。

「それよりさ。さっき遠くで聞こえたんだけど、明日学校休むの？」

　徹は「明日はお前の誕生日だから祝ってやろうと思ったのに」と、どこか悔しそうに言った。

「……うん。ちょっと体調悪いのと、用事があるから」
「……そうか。ま、ここんとこあの手紙のこと悩んでたみたいだし、そりゃ気も滅入るわな」

　僕の髪の毛をグシャグシャと掻き乱し、「あんなん気にすんなって」と励ましてくれた。

「……んー」

　徹が手を口元に当てて悩んでいる。

「じゃあさ、今日祝ってやんよ！　誕生日前夜祭な！」

「一旦帰宅してから遊びに行こうぜ」と僕を誘ってくれた。
しかし、その瞬間、水見さんの言葉が僕の頭をよぎる。

　───すぐに帰るように言われたけど、大丈夫、だよね？

「うん、わかった！　どこで待ち合わせにする？」
「おっけぃ。カラオケとかどーよ？　財布は置いてきていいぜ。俺が払うからさ」
「いや、さすがにそれは悪いよ……」
「いいから、いいから。部屋は汚いけど、安いカラオケの場所見つけたんだ」

　僕は散々悩んだ挙句、「それじゃお言葉に甘えて」と徹に奢ってもらうことにした。

「あぁ、今ちょうど4時くらいだから、5時に現地集合な？　場所は帰り道に教えてやるよ」

　そうして、僕らは2人で帰ることになった。激安カラオケの場所は、どうやら中学校へ続く道の手前を左に曲がったところにあるらしい。
　道の両端は草木に覆われ、人通りの少ない道のせいか、その先に見える建物はどこか不気味なものに見えた。目的地に着くとそこはたしかにカラオケで、店頭に構えた電光看板には『なんと1時間100円ポッキリ！　ドリンクバー付き！』と書かれていた。

「……ねぇ、徹。ここ───本当に大丈夫なの？」
「新しい曲はそんなに入ってないけどな。ま、有名どころはしっかり入ってるぜ」

　徹は「個人経営だから安いんじゃね？」と笑った。
　そして僕らは、帰宅してから1時間後にここで待ち合わせることを約束した。
　僕は家に着くとまず自室に入り、スマートフォンに充電用コネクタを接続した。既に電池残量は30パーセントを切っていたからだ。

「うーん、カラオケの最中に電池きれそうだなぁ……」

　まだ時間はある。時間が許す限り充電をして、電源を落として節電することにした。そして私服に着替え、1階のリビングのテーブルに【徹と遊んでくる】と母さんにメモを残した。

「これでよし、っと。メモさえ残していれば、多少帰るのが遅れても平気だよね？」

　階段を上がって自室に戻り、僕はふとカーテンの隙間から外を見た。

　───あれ？

　家の近くの電柱の陰に人影が見えた。頭だけがひょこんとはみ出ている。背丈からして子供ではない。風で髪は揺れ、その長さからして女性だろう。
　そして、しばらくすると電柱の陰から女性が出てきた。そのままこちらに向かって歩き始め、僕の家の前を通り過ぎる直前にちらりと2階を見上げるのが見えた。

　見覚えのあるその人物は───美丘先生だった。
　戦慄が走る。今日は犯行予告の日程前日だから尚更だ。

　───まさか、監視していたのか……！

　僕はガラス越しに目を見開き、背筋が凍るような悪寒を感じた。いや───たまたま電柱の横で鞄の中を見てただ通り過ぎただけかもしれない。2階を見上げたのも偶然なのかもしれない。
　ただナーバスになって疑心暗鬼になっているだけなのだと自分に言い聞かせた。

　───きっと……きっと気のせいだ。

　頬を両手で叩く。充電を中断してからスマートフォンのディスプレイを確認すると、電池残量アイコンには60パーセントと表示されていた。
　徹には手ブラでいいと言われたが、念のため財布を持って家を出ることにした。
　しばらく歩くと、電子音がメールの着信を僕に知らせた。

「あ、電源切るの忘れてた……」

　送信者は水見さんだ。
　メールの内容は「無事に家に着いたか」を確認するものだった。文字入力はバックライトが常時点灯して電池消費が激しくなるので、電話をかけて手短に話すことにした。

『───もしもし、優くん？　大丈夫？』
「もしもし。うん、大丈夫。これから徹とカラオケに行くんだ」
『───えっ、今噛くんと？　どこの？』

　どこか水見さんは慌てているように聞こえた。

「中学校の近くだよ。正門に続く道の手前に分かれ道があったでしょ？　あそこを左に曲がって真っ直ぐ進んだところだよ」

　僕は「あんなところにカラオケあったの知らなかったよね」と付け足した。

『……そんなところあったかな。何時間歌うの？』
「んー……わからない。5時集合だし、長くても3時間くらいかな？」

　僕がそう言うと、少しの間沈黙が続く。

「……えぇと、水見さん？　……聞こえてる？」

　すると、電話越しに泣いているのか、鼻をすする音が聞こえた。

『───あのね、優くん。今自分が置かれてる状況わかってる？　もしかしたら殺されちゃうかもしれないんだよ？』

　水見さんは「すぐ家に帰ってねって、あれほど言ったのに！」と声を荒げた。
　しかし、その言葉を聞いて僕はあることに気が付く。

　───そういえば、僕が明日ずっと家にいると知っているのは、水見さんだけだ。

　仮に水見さんが犯人だとする。彼女は僕の親が片親なのも知っているし、平日は母さんは仕事で家にいないであろうことも勘の鋭い水見さんならわかるはずだ。つまり、僕が家に一人でいると知っている彼女なら、低リスクかつ迅速に犯行が可能ということになる。
　話が飛躍しすぎている気もするが、それなら辻褄が合う。

　───僕を油断させて、復讐するつもりなんだ。

　気が付けば、思考が「彼女を信じてはいけない」と指令を出していた。

「……ごめん、大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」

　僕は今まで助けてくれていた水見さんを疑わないようにしていた。しかし、僕に一番恨みを持つ可能性がある人間は彼女だけであることをすっかり忘れていた。

　───そうだ。犯人は、水見さんだ！

　そうして、僕の頭脳は彼女を犯人に仕立て上げる。

『ねぇ、話を聞いて───！』
「……あ、そういえばね。美丘先生が僕を尾行していたんだ。自分の部屋から先生が電柱の陰に隠れていたのが見え───」

　そう言い掛けたところで、後ろから僕を呼ぶ声が聞こえた。───徹だった。
「とにかく大丈夫。犯行日時は明日だし」と言い、水見さんとの電話を切ることにした。適当に美丘先生のことを口に出したのも、あえて疑っていることを本人に伝える必要はないと思ったからだ。
　明日は自宅で身を隠すのではなく、外に出ていた方が賢明なのかもしれない。

『待って───！』

　スマートフォンと耳が離れ、彼女の声はフェードアウトしていった。

「どうした？　電話、続けてもよかったんだぜ？」
「うぅん。母さんとの電話だから。……大丈夫」

　僕は嘘をつき、水見さんと電話をしていたことを伏せてスマートフォンの電源を落とした。徹との時間を楽しむことに専念するためだ。
　そして現地に着き、受付を済ませて部屋に入った。想像以上に狭い部屋───ソファーの革も破けて穴だらけだ。
　これなら、あの料金でも納得出来る。

「カラオケとか、結構行ったりする？」
「まぁな。ストレス発散にゃーちょうどいいって話。……ほら、お前から歌えよ」

　徹は僕にマイクを握らせる。言われるがままに歌ってみるが、サビの高音部で声が出ずに咳き込んでしまった。

「喉で歌うんじゃねーんだよ。腹だよ、ハラ！」

　そう言って、握りこぶしで僕のお腹を軽く叩く。

「んー。なかなか歌うのって難しいんだね……」

　僕が苦笑いすると、「慣れだ、慣れ」と励ましてくれた。
　どのくらい歌い込んだのだろうか。空腹で僕がお腹を鳴らすと「そろそろ飯食う？」と徹が尋ねてきた。
　手馴れた手つきでメニューを渡し、どれを食べたいのか僕に聞いた。たこ焼きとフライドポテトに決めると、彼は部屋に取り付けられた受話器で注文してくれた。

「ごめん、俺ちょっとトイレ行ってくるわ。少ししたら料理が来ると思うから、これで払っといて」

　僕が頷くと、徹はテーブルに2千円を置いてトイレに向かった。
　それから10分くらい経ったのだろうか。店員が部屋の中に料理を持ってくると、徹もその手に皿を持ちながら部屋に戻ってきた。
　その皿にはチョコケーキが盛られ、上にはホワイトチョコパウダーがトッピングされている。

「───1日早いけど、ハッピーバースデー」

　まさかのサプライズに僕は言葉に詰まる。

「あ……ありがとう」
「───まぁダチだし、このくらいは普通だろ？」

　嬉しかった。ただただ、嬉しかった。
　そして、僕はありがとうとしか言えなかった。

「……うっせーな。いいから食えって！」

　徹はオーダーした料理の会計を済まし、マイクを握って再び歌い出す。僕は料理より先にバースデーケーキを食べることにした。

「結構苦いけど、美味しいねこのチョコケーキ！　徹も食べる？」
「……いや、俺はいい。苦いのは苦手なんだ」

　徹は視線を合わせようとしてくれない。まるで───怒っているかのように。

「ごめん。せっかく僕にくれたものなのに……」
「あー、いや。そうじゃなくて。……気にすんなって。歌に集中したかっただけ」

　有頂天になり、彼は今まさに歌っている最中だということを忘れていた。歌の途中で話しかけるのは、いささか失礼だったのかもしれない。しばらくすると部屋の受話器が鳴り、終了の時間を知らせた。
　スマートフォンの電源をつけると、ディスプレイに表示された時間はとうに9時を過ぎており、ずいぶんと長く歌い込んでしまっていたようだ。

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君を待つと決めた日／１６